本町は恵まれた自然を背景に、原始・古代から多くの人々が暮らしていたことから、当時の遺跡が数多く確認されており、「毛野国」の中心地であったことを現在に伝えています。
室町時代になると寛正3年(1462)壬生氏によって壬生城が築かれ、江戸時代を経て明治維新を迎えた最後の城主が鳥居氏でした。この間、壬生城の城下町、日光街道の宿場町として、また黒川を利用した河川交通の要衝として栄えました。
明治になると廃藩置県で壬生県が誕生し、後に町村制施行を経て壬生町となり、昭和29年には壬生町と稲葉村が合併。翌30年には南犬飼村を編入し、新たな壬生町が生まれました。
昭和30年代からおもちゃ団地や獨協医科大学の誘致を進め、近年では北関東自動車道及び壬生インターチェンジ、県道宇都宮栃木線等が整備されるとともに、壬生総合公園、東雲公園をはじめとした公園や緑地が充実した、便利で快適な「緑園都市」として発展しました。
近年では、人口10万人当たりの医師数全国5位、人口10万人当たりの看護師数全国5位となるなど、医療環境の充実などを理由に「住みよい 住み続けたい」と思う町民が9割近くに達し、ますます「住みたい 住み続けたい町」へと歩んでいます。
また、東武宇都宮線の4つの駅が町内にあるとともに、北関東自動車道壬生インターチェンジが東北自動車道と連結しており、広域的交通の利便性が高い町となっています。
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